1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分52秒
淡路島北部を震源として地震が発生した。四分後の
午前5時50分。
自衛隊の八尾・伊丹両基地が救援体制に入る。
午前6時30分。
警察庁、機動部隊を派遣。
午前6時50分。
陸上自衛隊姫路、非常呼集。
午前7時〜8時
出動要請がない自衛隊各基地は、訓練名目で偵察ヘリを飛ばし現状を確認。
基地周辺のけが人を病院へ搬送した。
ダイエーの社長が、救援物資を出すように社内に指示
当時の首相、村山氏に地震の一報が入る
午前8時〜9時
セブンイレブンがおにぎりを空輸開始
呉から海自の補給艦が出る。
災害発生当初から現地部隊は動いていた。
当初から自衛隊は出動を打診していたが当時の政権与党は頑なに拒否。
当時、陸自は記者会見で号泣した
「助けたくても助けられない!」
待てど暮らせどやってこない出動指示に「俺の責任でやる」と自衛隊各基地は小隊単位で訓練行動をとり救助活動を開始する。これらの責任者は後に左遷させる。
同時に米軍も、空母に被災者を乗船させ避難させる案を打診。拒否。
スイスのレンジャーが救助を打診するがこれも拒否。
結果、自衛隊が救助活動を公に認められたのは14時間後の午後7時50分。
さらに、現地で行動を始めるには翌日を待つことになる。
政府から災害救助要請が出たのはなんと四日後。
防災関係者の間では、社民党のおかげで二千人は余計に死んだと囁かれている。
当時の政権与党は社会民主党。
現在党首の福島瑞穂氏は、震災直後に現地入りし政府批判のビラをまいて何もせずに退散した経緯がある。
何でこんなちょっと時期遅れの記事を書いたかというと
阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはず
の自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。
日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働く
ことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。
とか書いている、社民党の議員がいたからw
その命令をさせなかったのは貴方たちですよ、と。
自分たちが政権運営をしてたことは黒歴史なのか?w
自衛隊の災害救助が遅れた一つの理由として、在日の朝鮮・韓国人テロリストの武器庫発覚を恐れた社民党政権による妨害だったという噂がまことしやかに流れた。(瓦礫の下から迫撃砲が発見されたという話や、救助要請が出ない三日間に何かを大量に運び出しているのを被災者が見ているという話がある)
その武器庫報道をかき消すために、サリン事件がおきたのだ、とも。
フィクションだな。
こんな話が伝わっている
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
2007年01月21日
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